こんなツイートをしたらちょっと話題になってくれたので、140字では言い尽くせない思いをここに書く。
今年の忘年会で普通に「宴もたけなわですが」って言っちゃう人は何なの?「宴もたけなわゲートウェイですが」って一言足すだけで確実に少しだけ面白くなるのに、なんで皆が話聞いてくれる貴重な機会を少しでも楽しいものにしようって気遣いができないのか。ゲートウェイ付けないなら宴もたけなわ言うな
— 細川貴英 (@takahide_h) 2018年12月25日
誤解しないでほしいのは、僕は、どんな状況でも「宴もたけなわゲートウェイですが」って言うことを推奨してるわけでは決してないってこと。「宴もたけなわですが」ってそのまま言っちゃうぐらいなら、ゲートウェイを付けろってことが言いたいの。
他に面白い前置きや重要な情報があれば、もちろんそれを話せばいい。僕が言いたいのは、なんでその場にいる全員が自分の話に耳を傾けてくれるという貴重な機会を、誰も得しない決まり文句を言って消費してしまうのかってこと。それはクリエイティビティの欠如であり、聴き手への配慮不足。お前みたいなやつが締めの挨拶でマイクを持つような宴なんて1ミリもたけなわじゃないわ。
「宴もたけなわゲートウェイ」がそこまで面白くないのはわかってるよ。でもね、「宴もたけなわですが」って普通に言うほうが100億倍面白くないから。誇張じゃなくてまじで、ちょうど100億倍面白くないってことを数学的に証明できる自信ある。
ちなみに、「宴もたけなわですが」ってそのまま言うのが面白いシチュエーションは、いろいろ想定してみたけど恐らく、ひとつしかない。忘年会の最初の乾杯の挨拶で一言目にいきなり「えー、宴もたけなわですが」って言う場合。それは面白い。認める。でもそうでない場合は、絶対面白くないと断言できる。
新駅名が発表されて一ヶ月も経たないうちにみんなの前でマイクを持つ機会があって、どういう思考回路で生きてたら「たけなわ」まで言って「ゲートウェイ」を付けずにいられるのか、まじで理解できない。
普通の人間なら「たけなわ」って言った瞬間、反射的に「ゲートウェイ」って言ってしまうはずだ。理科で習った脊髄反射ね。情報が大脳へと向かう前に体が動いてしまうやつ。だから、「たけなわ」まで言ってゲートウェイを言わないほうが難しい。そのゲートウェイを言いたい気持ちを抑えることができるとか、どんだけ自分を律することに長けてるんだよ。その自制心が一番たけなわだわ。
ゲートウェイを付けない人は、一体何のために新駅の名前を高輪ゲートウェイにしたと思ってるんだ。というか何のために山手線に新駅を作ったと思ってるんだ。
と、取り乱してしまいましたが、最後に真面目な話。勢いに任せて長文書いたけど実際この件にはそんなに怒ってないんだけどさ、ただこれは常日頃思ってることではある。小学校の校長先生の話とかまじで象徴的だけど、どうせつまらないことをやらないといけないのなら、せめて面白くやればいいのに、なんでやらないの?
僕は仕事でプレゼンするときとか、絶対に笑いの要素を入れないと、本当に聴き手に申し訳ない気持ちになってしまう。みんなの貴重な時間を奪う以上、それは最低限のエチケットだと思ってる。ひとつひとつの言葉選びは小さな話だけど、人生ってそういうのの積み重ねだから。
「宴もたけなわですが」で奪う時間なんて本当に5秒ぐらいの話だけど、それでも改善の余地があることは間違いない。僕が忘年会の締めの挨拶をやることを想像したら、口が避けてもそんなこと言わないなぁ。「なんとなく、そういうものだから」で思考停止して人の時間奪い続けるのやめようよ。
日常生活でいえば、例えば「とてもじゃないけど」って言葉を使う人にも同じような感情を抱く。「とてもじゃないけど」ってあれ何なの?面白くないし、長いし、何かの程度を強調するような文脈で使う割には、意味が逆じゃない?あれまじで何のために使うの?
それでは、みなさん良いお年を。